写真であるのに、気温を感じる光の当たり方というものがある。その映像は暑かった。
君は前方を歩く。背と後頭部が主な記憶だ。
君はまるでこの土地を知っているかのように進む。「次はそっちなのね、忙しいなぁ(笑)」なんて言いながら私は何の疑問も無く素直に着いていく。
鎌倉だと思う。君も私もそこがどこであるかは口にしていない。しかし、私は鎌倉だと思った。ちなみに実世界で私は鎌倉に行ったことはない。
君の背と後頭部と乾いた暑さ。それがその映像の8割を占めていた。
途中で君は立ち止まる。「ここ」とだけ言う。観光客だろうか、視界の隅に映り込む人間の数が多くなってきた。
木造の時計台のようなものだった。黒く、古く、汚れていたが、立派だった。
先程までは日本家屋の間を縫うように歩いていたのに、辺りは青々と草花が生い茂っていた。
「君はこれを見せたかったの?」と聞いたとき君はもう歩き始めていた。問いに返答はなかった。
そこからは繰り返しだ。同じだ。でも違う。
視界の隅に映る景色は色を変えていく。
夕方は夕方でも、夜との境目に属しているような暗さがあった。夕闇とはこういう景色のことを言うのかもしれない。君はまだ歩いている。
私は君の背を追いながらとても暢気だった。実際にとても楽しかった。話せずとも顔が見られずとも、背を追いながらうなじを眺め、ただひたすらに歩くことが不思議なくらい何よりの幸せだった。
そんな世界も暗くなってゆく。
これもその中での会話などには無かったが、私たちは日帰り前提でこの土地に来ていたようだ。
というのは、夜道を変わらぬ様子で歩き続ける君に私が声を掛けたことによって分かった。
なぜか私は少し恥ずかしそうに言った。
「今日はもう帰れないからさ、もういっそ1泊2日にしようよ。私は1週間でもいいくらいだけど。」
そこで君が初めて振り向いた。歩みを止めはしなかったが、少しだけ速度が落ちた。
「おぉっ、1泊しちゃう??」
その映像の最中、ひたすらに表情のわからない君に対して少しだけ怯えていた私は、君の優しい表情と声色に安堵する。そしてその眺めと言葉に心が踊った。
何気ない、を体現したような眺めだった。
私にはそれが心からの幸せだった。
じわりと内臓が温まる感覚で目が覚める。
じわりと流れたのは涙だった。
「惨めだ、」
それだけ言って、時計も見ずに泣いた。
幸せな夢なんて見たくなかった。
いっそ明晰夢であれば、割り切れたかもしれないが、残念なことにその夢の中で私が夢だということに気づくことはなかった。
私は、泣いたあとの自分の顔が少し好きだった。いつもより頬の皮膚なんかが素直な気がした。
幸せが遺していくものは、夢の中から1ミリも現実世界にはみ出してくることのない甘く淡い記憶と、起床0秒で泣き始める1人の人間だけだった。
1日中その夢のことを思った。
幸せだったなぁと口角を上げてみたり、なぜかまた泣き出しそうになってしまったり。我ながら感受性が豊か過ぎやしないかと思うほどだった。
私は今のような日々を1秒でも早く変えたいと思いながらも、変えるために動くリスクのせいで今以下になることを恐れている。失わずに済むのであれば、いっそこのままでいいと真面目に考える。
何度でも言う、私の取り柄は行動力だ。
そう、他のことに関してであれば突然にして何にでも足を踏み入れる。少し危険でも、世間が認めてくれないことでも。
しかしなぜか、これだけは、このことだけは、私の足を鉛のようにしてしまうのだ。
1歩も踏み出すことができないまま、多くを望み手を伸ばす。
いっそこの腕も鉛のように、重く動かなくなってしまえばいいのに。そう思った。
終身刑になるぐらいなら死刑になりたいのと同じ。
それでも私は生きている。もしかしたら君の足も鉛なのかもしれない。
そして君を苦しめているのはその鉛の足ではなく、自由が利くその両手なのかもしれない。
幸せが存在するから不幸が生まれる。
私は鉛のまま、幸も不幸も背負える半不自由な体のまま、同じ姿をした人間とともにゆっくりと歩み進めたい。