1年前の春分の日。

私が初めてライブに出演した日、そして、正式にけだまとしての活動がスタートした日。

満員電車みたいな下北沢Barrack Block Cafeのステージから見た景色は、この世の終わりみたいだった。

知らない顔も知ってる顔も交差する。夢か現実かも分からない。早口な自分。心音は自分では把握できなくなっていた。

そのおかげとでも言おうか、緊張していたことさえ把握することが出来なかった私は、元来、本番に激弱なはずの自分を少しばかり殺すことができた。

あの日の景色は忘れることができない。あの日の自分を忘れることができない。

そんな、”あの日”から1年が経ち、私は私を支えながら生きている。

どうしようもない歌が、私の心から離れてどこかへ行ってしまうのを繋ぎ止めてくれたのは、私の歌を好きだと言ってくれるみんな。

どうしようもない日々を照らしてくれたのは、私の手を引いてくれるのは、いつだってあの方々。

どうしようもない私に優しさと厳しさを教えてくれたのは、ライブ運営関係者の方々。

どうしようもなくないよ。そう言われている気がして、私は私に責任を持てるようになりたいと強く思った。むしろ、私以外の何かに、私の責任を負わせるようなことがあってはならないと思った。

この1年でなにをやってきたかなんて振り返る必要はない。Twitterに書いてある。

重要なのはこの1年で何ができなかったか、だ。

それはなぜ出来なかったのか、どうすれば出来るようになるのか。

私は私を許してあげられる瞬間が、いつか訪れると信じている。

出来ない自分が許せないなら出来るまでやるしかない、そんな簡単な答えを導き出せない自分が弱くて嫌いだった。

出来ない自分も愛することができればいいのでは、なんて一瞬でも考えていた、逃げていた、妥協していた、そんな自分が憎かった。

2年目に突入したけだまは何をする。

曲を作る。ギターを上達させる。

と、ここに明言する。

「目標を立てるとそれに押しつぶされて何も出来なくなってしまうから目標を尋ねることはもうやめてほしい」そう言って、私はいつも明言することを避けた。

けれど、そんな自分がなによりも許せなくなってきていた。

2年目のけだまとして活動していく中で、私は9月に20歳を迎える。もう10代のシンガーソングライターでは無くなる。

自衛に生きるのはもう終わり。

傷つき傷つけることから逃げて得る成長なんて積み重ねたっていつか崩れてしまう。

中身のある私を、音楽を、感じてほしい。

そしてそれを、あなたの一部にしてほしい。

そのために私は生きていること以上に、自分のやるべきことを見つめ日々確実にそれをこなしていく必要がある。

夢か目標か決定事項か。それを決めるのは自分しかいないということを改めて感じた。

また絶対にすぐ私はどこかでうずくまる。そのときに私は私に対して何と言葉をかけるのか。同情するのか、突き放すのか。まずはそこから全てが始まるような気がする。

あなたにはその結末を見届けてほしい。